YouTube連続更新20日を経て感じた、一生モノのメリット

自分を大切にしながら仕事を続けていくために

今月頭からはじめた、
毎日YouTube更新ですが、
連続20日を数えました。

そのなかで気づいた、一生モノのメリットがあります。

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YouTube連続更新20日

YouTube連続更新が、20日になりました。

勢いではじめたものですが、
我ながらよく続いているな、と。

ブログと違い、
アクセス数ががっちり開示されているのが、
なんとも恥ずかしい限りですが、
ビックリするくらいに一桁の行進がつづいています。

もともと話す訓練のつもりではじめたものの、
やはり、気にしていないというと嘘になります。

とりあえず更新していれば数が稼げるほど、
甘い世界ではないんだなぁと認識。

とはいえ、案外前向きに捉えていて、
テーマをもって愚直に実践を続けていれば、
きっと花開くはず、と思っています。

3年とか、5年とか、
そのくらいの長期的なスパンで考えることができています。

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やって気づいた、話すことのメリット

なぜそのようにドンと構えて、
続けていくことに前向きでいられるのかというと、
メリットを見つけたからにほかなりません。

そのメリットとは、
話すことを通じて、
自分の思いや考えを言語化することが、
こんなにも嬉しいものかと、実感していることです。

日々、心が浄化され、澄んでいくのを感じます。

これは、大げさでもなんでもなく、
一生モノのメリットだ、と衝撃を受けました。

そしてこれは、
書くことでは得られない体験でした。

私にとって、書くこととは、
苦しいイメージがあります。

心を研ぎ澄ませて、
言葉を絞り出していく、苦しい過程です。

しかし、話すことは、なぜでしょうか、
フレッシュなイメージがあるのです。

自分の中でメリットを日々感じながら続けているので、
直接的な成果が出ていなくとも、
それほど苦しまずに取り組むことができています。

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なぜ、話すことは苦しくないのか

書くことと話すこと。

どちらも、思いや考えを言葉にする、
という点では共通していますが、
どういった違いがあるのか。

2つ思い当たるものがあり、
1つは、許される時間的猶予の違いです。

書くことは、言語化するまでの時間的猶予が比較的長いです。

結構待っていられます。

それだけに、精度が求められます。

というか、無意識のうちに、精度を求めてしまう自分がいます。

なので、必然的に、苦しくなってしまう。

一方、話すことは、その時間的猶予が短いです。

待っていると、すぐ無音状態…放送事故です。

だから、ある程度妥協してでも、えいやっと出さざるを得ない。

それがほどよく作用していて、
言語化のハードルが下がっているように思います。

もう1つの違いは、
コミュニケーション手段としての言語の比重です。

書くことは、言語がすべて、といってもいいでしょう。

なにかを伝えようとしたら、とにかく言語しかない。

すると、その言語を研ぎ澄まして、伝える努力をしなくちゃいけない。

これは結構、苦しいことです。

しかし、話すことは、
コミュニケーション手段として、言語がすべてでありません。

抑揚をつけるであったり、
身振り手振りだとか、
目ヂカラ、といったところも含めて、
さまざまな感覚に訴えることができます。

すると、言語の比重が薄まるので、
そのプレッシャーが弱まるのです。

それが自分にとっては、
気持ちをラクにしているようです。

とはいえ、
どちらも大事な基礎的なスキルですし、
書くことで話すことにいい影響があり、
話すことでまた、書くことにいい影響があります。

どちらか一方、とは言わず、
どちらも続けていきたいです。


【編集後記】

昨日は、法人決算、確定申告。

週末にちょっとしたイベントが続くことになり、
プレッシャーを感じながら、
ワクワクする自分がいます。

【一日一新】

とあるアプリ

【昨日のYouTube】

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