外向的・社交的であらねば、とあがいていた日々はムダだったのか

私の生き方・考え方

内向的な人間が、
「外向的であらねば」
「社交的になりたい」
とがんばって背伸びしていた時間というのは、
ムダなのでしょうか。

自分の経験から、振り返ってみました。

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悪あがき自体はムダじゃない

私自身、悪あがき自体は無駄ではないと考えています。

振り返ってみて、
自分が背伸びをしていたと最も感じるのは、
大学生のころです。

当時、大学祭の実行委員会に所属していました。

大学祭は、学校を挙げてのオフィシャルなイベントで、
3日間で15,000人ほどの来場者がありました。

私はその実行委員会の委員長として、
30人くらいの組織のリーダーとなり、
そのイベントの責任者の立場で活動していました。

内向的な私が、
そんな表舞台に立つなんて、
後にも先にも例がありません。

リーダーシップどころか、
いつも一人行動ばかりで、
他人への働きかけや根回しなんてやったことのない私。

実際、勝手が分からず、
うまくいかないことの連続で、
残ったものといえば、後悔と挫折感ばかりでした。

はっきりいって黒歴史なのですが、
悪あがきをしてムダだったか?と問われると、
そうは思いません。

なぜなら、当時はそうしたかったからです。

向いていないなりに、
「外向的であらねば」
「社交的になりたい」
と本気で思っていて、
その気持ちどおりにやってみたものだからです。

その結果として、
こりゃ違うな、向いてないな、という気づきが得られましたし、
外向的であろうとすることへの未練がなくなりました。

いま、逆のベクトルに振り切ることができているのは、
その当時のチャレンジの賜物です。

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反動で休んだ期間はムダだった

ですが、ムダだったということでいえば、
その後、ダメージを食らって、
しばらく沈む期間があったことです。

大学祭実行委員会のリーダーとしての挫折で、
手痛いダメージを負いました。

すぐに就職活動がはじまったのですが、
私はメンタルを立て直すことができないまま、
混乱状態に陥ってしまったのです。

そのまましばらく、
大学を休学することになりましたし、
その後、地元に戻って父の会社に入社したのも、
消極的な選択です。

この辺りの4年ほどの年月は、
今思うと、もうちょっとやりようがあったんじゃないか、
と後悔の念が残るところです。

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やってみるのは大事

外向的であることを無理に強いられるならまだしも、
興味があるのなら、やってみるのは大事だと考えています。

やってみなくては適性は分かりませんし、
失敗しても満足すれば、次につながります。

試行錯誤する中の楽しさだってあるはずです。

一方で、キズが深まる前に転換するのも大事ではあります。

やはり、向き不向きもありますし、
タイミングだってあります。

私のように、
ふっきれるのに5年も10年もかかるほど、
がっつり痛い思いをするまで我慢することはありませんので。

若いときに、事前に察知して、
そこまで判断するのは難しいですけどね。


【編集後記】

昨日は、とある準備など。

岩手のスターから世界のスターに駆け上がった
大谷翔平選手ですが、
今日は出番なし。

ライバルがHRを量産するなか、
ハラハラするわけですが、
ラストスパートに向けて、
いい休養にしてほしいと願うばかりです。

【一日一新】

TNER

【昨日のYouTube】

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