「時間は限りがある」という、
当たり前だけれども、
ついつい見ないふりをしてしまう事実。
よりにもよって、
愛犬が失明することによって、
それを教えられました。
突然、可愛がっていた犬が失明した話
実家で犬を飼っています。
オスのトイプードルですが、
もうすぐ14歳になります。
人間でいえば、
70歳を超えるおじいちゃんです。
私が大学生になったころから飼いはじめ、
可愛がってきました。
家族の中でも、
私が「遊んでくれる人」と認識されていて、
ボールをくわえてきては、
遊ぼう遊ぼうと、駆け寄ってきてくれました。
内気な性格で、
ドッグランに行っても、
他の犬とうまく交流できず、
端っこの方で草花の匂いを嗅ぎながら、
一人で楽しんでいるタイプです。
(私と同じ)
東日本大震災のときには、
余震におびえながら、
一緒に寝てたりもしました。
(今となってはなつかしい思い出です)
その愛犬が、
先日、ふいに視力を失ってしまいました。
つい一ヶ月前、
普通に遊んだり、
散歩したりしていたはずなのに、
それが急に、
よたよた歩きになり、
ボールにはまったく興味を示さなくなり、
呼びかけにもろくに反応せず、
寝てばっかりになってしまいました。
年齢が年齢だったので、
ある程度、覚悟はしていたつもりでした。
それでも、
あまりにも急激な変化を目の当たりにして、
愕然としてしまいました。
自分に残された時間は多くない
このことから、
自分もまったく他人事ではないな、
と危機感が強く持ちました。
月並みですが、
「人生には限りがある」
「自分に残された時間は多くない」
ということを強く思いました。
自分が30歳のころ、
「あと5年で、ここまで成長する」
と思い描いたものがありました。
現在、35歳になりますが、
その理想は、
3割くらいしか実現できていません。
この大きな要因として、
1日や1時間といった短いスパンで、
「まだ時間はある」
「後でやればいいや」
という判断に流れていった、
その積み重ねがあると思います。
もちろん、
日々、時間に追われるように生きるのは、
好きではありません。
しかし、
100%の正解を求めては、失敗を恐れて行動をしないだとか、
取り組んでみたいことがあるのに、
毎日の習慣や惰性に流されて、
タイミングがどんどん遅れていくだとか、
そういったことからは、
卒業していかないといけません。
行動する、という心がけだけではありません。
時間の使い方も考える必要があります。
人を雇わないと決めて、
一人で開業してやってきて、
自分の取るべき軸が、なんとなく見えてきました。
そこで、何を選び、何を捨てるのか。
マンパワーでは大きいところには勝てませんし、
独自性を打ち出していかないと、
生き残ってはいけません。
となると、時間の使い方から、
変えていかないといけません。
特に、捨てるべきものが曖昧になりがちです。
とりあえず、あれもこれもやる、ではなく、
フワッとながら見えてきた自分の進むべき方向へ向けて、
合わないものはバッサリと捨てる勇気を持ち、
自分の進むべき方向へと、
狭く深く、時間を投資していくべきです。
そしてもちろん、
愛犬とあとどのくらい、
一緒にいられるのか分かりませんので、
会える時間を大切にしていきたいと思っています。
幸い、目が見えなくてもできる遊びを発見したので、
それが私にとっての生きる楽しみの1つです。